映画「栄光のル・マン」にも登場。2021年のペブルビーチ「グランツーリスモ・トロフィー」は1969年式フェラーリ 512Sに!
8月15日(現地時間)、アメリカ・ペブルビーチで第70回ペブルビーチ・コンクール・デレガンスが開催され、「グランツーリスモ」シリーズ・プロデューサー山内一典は、1969年のフェラーリ 512Sを「グランツーリスモ・トロフィー」受賞車に決定しました。
フェラーリ 512Sは、1970年に開かれたスポーツカーレース「国際メイクス選手権」に参戦するためにフェラーリが開発したグループ5カテゴリーのレーシングカーです。開発期間はわずか3か月といわれ、その心臓部には、天才エンジニア、ヴィットリオ・ヤーノの後を継いだフランコ・ロッキが設計した550馬力の5リッターV型12気筒エンジンが搭載されました。
もともとフェラーリは、60年代後半のスポーツカーレースを名車330P4で戦ってきました。ところが排気量区分の変更によってP4が戦闘力を失ってしまい、急遽作られたのがこの512Sというわけです。丸みを帯びたボディは鋼管スペースフレームにアルミのアウタースキンをかぶせた構造で、その一部には初めてプラスチック材が使われました。
512Sは、1970年のスポーツカーレースでポルシェ917と数々の名勝負を演じ、デイトナ24時間で3位、セブリング12時間で優勝を果たすなど、存在感を示しました。ペブルビーチに出品された個体は、俳優スティーブ・マックイーン氏がかつて所有していたもので、その姿はマックイーンが主演した映画「栄光のル・マン」の中でも見ることができるそうです。
このグランツーリスモ・トロフィーを受賞したフェラーリ 512Sは、将来のグランツーリスモに収録される予定です。なお今年のペブルビーチ・コンクール・デレガンスのベスト・オブ・ショーは、1938年製メルセデス・ベンツ540Kアウトバーン・クーリエが受賞しています。
記念すべき受賞車の他にも、今回グランツーリスモ・トロフィーにノミネートされたクルマたちを、世界的なカーデザイナー児玉英雄さんのテキストでご紹介しましょう。
フェラーリ 365P(1966年)
1966年のパリサロンで、ピニンファリーナが発表したセンセーショナルなモデル。4.4リッターV型12気筒のスポーツレーシングエンジンをミッドシップに置いたベルリネッタが365Pです。FRのコンベンショナルなレイアウトに固守するエンツォを説得させる意味があったのでしょうか。
特筆すべきは、ドライバーをクルマの中心に座らせる3人がけレイアウト。後に出るマトラ・シムカ・バゲーラ(1974年)やマクラーレンF1(1993年)にヒントを与えました。余談ながらこの例後は365Pよりも先に、1936年のパナール・ディナミック・セダンですでに試されていたのですが……。
この個体は、ロンドンやロサンゼルス各地のショーでショー・ストッパー(拍手喝采でショーが中断するくらい話題をさらうこと)となった後、アメリカの顧客のものとなった1台です。フィアット帝国の総督ジャンニ・アニエッリ氏も自分用に一台を発注したとか。プレイボーイのアニエッリ氏は美女を両脇に、ドライブを楽しんだことでしょう。
この頃のディーノ206にも通じるデザインテーマですが、そのボリュームと優美さは圧巻です。
フェラーリ 410 スーパーアメリカ・スーパーファスト(1956年)
1956年に、357からより高性能な410シリーズに移行して、ブリュッセル・モーターショーでデビューしたピニンファリーナ製のモデル「410スーパーアメリカ」。ただしデザイン的には従来の延長にあるもの。たとえば前端のエアインテークは必要上開けられているもので、デザインがなされているというレベルにはありませんでした。
いっぽうスーパーファストにおいてはノーズを低く形作り、そこにインテークを綺麗に溶け込ませています。さらにサイドの中ほどに水平に巡らしたラインとボディ色の塗り分け、Aピラーを取り払ってセイルパネルに応力を持たせたカンチレバータイプの構造など、その後のモダンなデザインに取り入れられるディテールが試みられていました。
ただテールフィンを予感させる当時流行りのアメリカンスタイリングはちょっとやりすぎだったかも知れません。これ以降に続くスーパーファストは、いくつかのモチーフを保ちながらも少しトーンダウンしたこともあり、このモデルの先進性は改めて価値が高いといえます。
ミラー 91(1926年)
ミラーと聞いて即座に思い浮かぶのが、アメリカでは珍しい緻密なFWD構造をもつレーシングマシンです。その主人公はハリー・ミラー。1910年代から第二次大戦後にかけて、これまたビッグネームだったオッフェンハウザーとパートナーを組むまでは、自由奔放にアイディアを注ぎこむレーシングコンストラクターでした。
ミラーはFWD、4WD、スーパーチャージャー、インディペンデントサスペンションと多彩な創造を続けました。中には1924年のレコードランのために生み出した、1917年型ドラージュベースの完全卵型の造形をしたブレーカーもあります。大西洋を挟んだヨーロッパでもエットーレ・ブガッティが一目を置いたというエピソードがあるほどです。
このエントリーモデルは残念ながらFWDではありませんが、優れたバランスが特徴。1926年のインディ400マイルレースでフランク・ロックハートがドライブし、ウィナーとなっています。ミラー製マシンに共通する「エンジニアの無駄のない美しさとインテリジェンス」を感じますね。
ポルシェ 917/30(1973年)
ル・マン24時間耐久レースでフェラーリ512やフォードGT40の制圧を目論み、ポルシェはF.ピエヒ率いるヴァイザッハのチームが、908をベースにしたより戦闘力のある917を完成させました。初戦では十分な成果を出せなかったものの、70年、71年と優勝、上位を占めて満足のいくものになったのですが、その宣伝効果を北米でも、とCAN-AMに送り込んだマシンが917/10です。
その917/10は1973年、さらに強化された917/30となってロジャー・ペンスキーのチームに手渡されます。ペンスキーは新しくSUNOCOのスポンサーシップを得て、ブルーに塗られた2台をエントリーさせました。
基本的にはオリジナルの917を保っていますが、ツインターボによる強力なパワーを制御すべく、巨大なリアスポイラーやフロントのエアロデバイスに大きく手を加えた結果、外観はオリジナルの917とはまったく別物になっています。
アルファロメオ 6C1750 GT(1931年)
1920年代の初頭から、アルファロメオP2などで数々のレースの功績を積んできたヴィットリオ・ヤーノ。彼が手掛けた次の新しい小型マシンが、1925年のミラノショーでデビューした6C1500です。
ただしペブルビーチに出展されたこのクルマは、進化・発展がよく知られた1750cc55 HPのもの。ミッレミリアに参戦するためトゥーリング製のボディを載せていて、同じ仲間でも2シーターオープンボディの”FLYING STAR”の優美さとはまったく異なる様相です。
スペックも、軽量化のためにカウルから後方は人工の防水布張りのウェイマン手法で造られています。ちなみにこれがトゥーリングの特許ともなるスーパーレジェラ工法の始まりです。寝かせずに垂直に立つラジエーター、エクストラに加えられたドライビングランプ、軽量化のためにリアクォーターの窓は省かれているものもあり、なかなか凄みのある仕事車両と言った雰囲気さえあります。
それにしても長いこと手も加えられていないようで、プリザーブドの良い状態だといえるでしょう。
(車両解説協力:児玉英雄)